概要
楠木正成公は永仁2年(1294年)この地に誕生したと伝えられており、楠木氏の館があったと推測されています。文録年間には増田長盛が豊臣秀吉の命を受け、土壇を築き、建武以後楠木邸伝説地にあった百日紅を移植したという記録が残っています。また、元禄年間には、石川総茂が保護を加え、その後、明治8年(1875年)、大阪会議のために来阪していた大久保利通が楠公遺跡を視察した際、堺県令税所篤に命じて石碑を建立し顕彰しました。
碑文
「楠公誕生地」という碑文は、大久保利通が紀尾井坂の変で倒れたため、幕末勤王派の三剣豪の一人で、当時誉田八幡宮の祠宮であった桃井春蔵直正の揮毫によるものとなりました。
発掘調査
平成の初頭に発掘調査が行われ、14世紀の土器群や二重の堀に囲まれた建物跡などが確認されており、楠木正成公との関連が推定されます。またその際、土器や石器など縄文時代後期から晩期の遺物も発見されており、付近に縄文遺跡があると考えられます。
連絡先 |
0721-72-1588(楠公史跡保存会) |
住所 |
大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分266 |
アクセス |
近鉄長野線「富田林」駅乗り換え、金剛バス「楠公誕生地前」下車 |
駐車場 |
道の駅駐車場をご利用ください |